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諏訪野遺跡(桶川市大字川田谷字本沢『諏訪神社の近く』)について


思いのほか人がいっぱいいた。
(午前・午後で2000人近く来たとのこと)
08年2月17日ヒロシ撮影
圏央道建設現場に沿って発掘されている

 この間、読売新聞埼玉版に珍しく川田谷のことが書いてあったので掲載してみた。
掲載内容は、『諏訪野遺跡』のことだった。
 2月17日に説明会があるというので、現地に出かけていったが、思いのほか数多くの人であふれていた。なんと、諏訪野遺跡が埼玉県内でも最大級のものとのことで、見物人がたくさん来ているとのことでした。                                      県埋蔵文化財調査事業団の調査によると『 諏訪野遺跡は、江川(えがわ)をのぞむ小高い台地に営まれた縄文時代中期(約5000年前)の遺跡で、 発掘調査により当時のひとびとが暮らしていたムラの跡が発見されました。』とのこと。さらに同事業団は『諏訪野
遺跡のムラは、当時の家のあと(竪穴住居跡)が広場をとり囲むように円形に並ぶ「環状集落」と考えられ、 今回の発掘調査では約60軒の竪穴住居跡が発見されている。 その規模は、竪穴住居跡が密集する部分だけで直径180mを超え、縄文時代の集落跡としては県内でも最大級のもの。』ということだが、圏央道の工事現場だから、早いうちにまた埋められてしまうのはいささか残念ですね!
  発見された竪穴住居跡は、深さが80p近いものもあるなど非常に保存状態が良く、内部からはほぼ完全な形のものを含む大量の土器が出土しましたとのことです。(下記写真参照)

事業団の人が説明してくれた

現地で展示してあった土器類
 今回の調査で約六十軒の竪穴住居跡が見つかり、大量の土器やアクセサリー類も出土した。住居跡群の周りには直径一メートル前後の穴がたくさん集まった遺跡もあり、共同墓地と考えられるという。
 ちょうど江川周辺の低地帯から上がってきたところに集落は位置しており、沸き水などがでてちょうど都合が良かった場所だったのかもしれませんね!
諏訪野遺跡関連ホームページ
諏訪野遺跡の概念図
(県埋蔵文化財調査事業団資料より)


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