桶川市大字川田谷 薬師堂ってどこにあるの?


薬師堂の位置

 薬師堂地区は桶川市の南西に位置している。薬師堂の自治会館は桶川市内で最も古い方で、大きな台風が来たら壊れそう。交通手段は市内循環バスが1時間に1,2本来る程度で、交通の便が非常に悪い。最寄駅桶川から4,5キロあり、小学校や市役所からも遠いせいか建売分譲もないため、新しい人がきわめて少なく、住民は土着の人またはその関係者でほとんどを占める。近所のお店は『かどや』くらいしかない(地元の通称であり、実際の名前は違う)。しかし、近年この地区を分断するように上尾バイパスの建設が予定されており、この地区の発展を期待する。
 隣には松原地区、樋詰地区が隣接し、『第一分団』を形成。『第一分団』で川田谷体協主催ソフトボール大会で優勝したこともあり。

    桶川市の歴史・・・・・・・・・・・・・・①桶川市のホームページへ

                         ②ウィキペディア

川田谷の人口、面積、人口密度等(平成17年1月1日現在の統計)
     (川田谷は桶川市の地区別では人口第4位!!!)

平成17年 面積(ha) 平成17年 平成12年 H17-H12の増加数 増加率(平成12年から17年)
人口 人口密度 人口
7281人 1015.08 7.2人 7301人 ▲20人 ▲0.3%

川田谷の人口・・・・・・・桶川市(74,426人、17年)の約9.78%(桶川市民の約10人に1人は川田谷の人)
川田谷の面積・・・・・・・桶川市(2,526ha)の約40.18%(桶川市の約4割は川田谷の土地)
ちなみに・・・・・・・・・・・桶川市の地区ごとの人口ランキング 1位坂田 9051人、 2位上日出谷 9,004人、 3位下日出谷 7,361人
                第4位川田谷 7,281人、 第5位加納 4,657人 となっている。 
ちなみに②・・・・・・・・・昭和30年合併前の川田谷村の人口は5,095人だった。

川田谷の歴史

元号 西暦 川田谷のおもなできごと
明治元年           1868                        上川田谷村、下川田谷村が合併                                           
明治5年 1872  学制発布 川田谷学校開校
明治8年 1874  川田谷村、樋詰村が合併
明治27年 1894  日清戦争始まる
明治37年 1904  日露戦争が始まる
明治39年 1906  泉福寺阿弥陀如来座像が国の指定重要文化財となる
明治43年 1910  荒川が大氾濫し川田谷村で甚大な被害がでる
大正3年 1914  川田谷村信用購買販売組合が設立される
 第一次世界大戦が始まる
昭和6年 1931  満州事変がおこる
昭和12年 1937  日中戦争がはじまる
昭和16年 1941  第2次世界大戦が始まる。川田谷小学校は国民学校と改称となる。
昭和30年 1955  川田谷村は桶川町と合併、桶川町となる
昭和45年 1970  桶川町が単独で桶川市となる

その他 川田谷なんでもトリビア!!!    

川田谷なんでもトリビア
川田谷に銀行があったって本当? 営業内容については実のところ不明であるが、明治15年総代を川田谷村の高橋甚左衛門とし、資本金3万円をもって大蔵

卿に許可申請を出しており、明治16年(1883年)1月に川田谷村に私立銀行設立を許可されたという記録が残っている。当

時、農村家内工業、工業制手工業の規模の発展が目覚しく、資金の需要が高まる中、各地で国立銀行及び私立銀行の設

立が盛んだった時期に上記の設立申請があった。
川田谷に軍事施設があったって
   本当?
現在のホンダエアポートに熊谷陸軍飛行学校桶川分教場の飛行場があった。兵舎は当時川田谷村字若宮(総合グランド

よりも東側の高台付近)にあった。
昔の川田谷村の予算の規模はど
   れくらいだったの?
昭和24年の川田谷村の決算報告書によると、歳入合計で 667万円だったそうです。ちなみに当時桶川町の歳入金は

1250万円だったそうです。
昭和の大合併(昭和30年前後)時に
  川田谷を含む桶川、上尾、伊奈の間
  で合併話があったって本当?
昭和28年埼玉県町村合併促進審議会ができ、各郡に地区町村合併促進協議会が発足。当地域は上尾町、桶川町、平

方町、原市町、大谷村、大石村、川田谷村、加納村、上平村、伊奈村の10カ町村が構成団体であった。(当時の各町村

の人口及び面積は下記を参照) これらの地域が合併すれば、当時でも6万人(面積で85.9平方キロメートル)の規模と

なる予定だった。最初10カ町村は合併賛成の意向であったが、10カ町村の行政の中心は上尾町か桶川町の対立があり、

その中心が上尾町になるのを恐れた桶川町は、10カ町村のの合併によらず、周辺の村との合併案を打ち出し、最終的に

は、加納村、川田谷村との合併となった。尚、上平村と大石村は上尾町に合併となったが、上平村の上地区及び大石村

の井戸木地区は、地理的にも桶川町との合併を望んでいた。そして住民投票を行った結果、上平村上地区は住民投票

で桶川町合併派が敗れて桶川町の編入は実現しなかった。また、大石村の井戸木地区は桶川町、上尾町両派の対立が

激化し、結局井戸木地区を分断する形で一部が桶川町編入となった。

参考

昭和の大合併前の川田谷村及びその周辺の町村の人口及び面積
町村名 人口 面積(k㎡) 町村名 人口 面積(k㎡)
上尾町 11,665 7.51 加納村 4,097 8.28
桶川町 10,303 6.29 平方町 4,046 5.69
伊奈村 7,327 14.95 原市町 3,856 5.65
大石村 5,663 12.23 上平村 3,829 7.67
川田谷村 5,095 10.47 大谷村 3,614 7.16


※上記記載事項は、あくまでも一個人が趣味の範囲内で調査したものであり、100%の信憑性を保証するものではありません。

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